ダンロップフェニックストーナメント

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大会レポート

武藤一彦のコラム 

武藤一彦のコラム   火曜日   水曜日   第1日目(木)  第2日目(金)  第3日目(土)  最終日(日)   
練習場へ行こう!  トーナメント観戦バーチャル体験記 


11月22日(日曜日) 「ゴルフとは、果てしなき戦いとみつけたり」―ふたつのプレーオフ


 何が驚きといってカールソンだ。
 4番パー5、あくまでまっすぐな567ヤードのロングホールだった。首位のモリナリが左林に曲げると迷わずスプーンを使って、低くフェアウエーをキープした。高弾道時代に逆行するような、あくまで低く地を這う球だった。

 2打目もスプーン、3打目4mに寄せてバーディー。これがきっかけだった。

 カールソンは6,8,9,10番とバーディーを重ねるとモリナリをとらえ、突き放す。 14番で7mのバーディーをとったときは優勝が見えた。世界ランキング28位、昨年の欧州ツアー賞金王。40歳。息をのむ迫力、計算づくの強さである。

 しかし、そんな怪物を蹴倒すイタリア男モリナリはもっとすごい。こちらもボギーなし。追われ、追いつかれ、突き放されながら15番、6アイアンのショットを1mにつけバーディー。プレーオフへ。
 その2ホール目、1mのバーディーパットを決めて勝った。

 

 片や世界ランカー、片や下部ツアー。格下のモリナリに分はなかった。
 「カールソンが相手、優勝は頭になかった、はなされないようにとそれだけだった。勝ったことが 不思議な気分。来年は欧州ツアーに出て世界ランク50位を目指しメジャーに出たい」
夢は広がった。この日の戦いぶりならどこに出ても結果はついてくるはずだ。夢を実現させるだろう。

 激しい雨、寒さ、日向灘からの風。二人は、ノーボギーである。グーの音も出ない。強い、すごい。世界は広く、深かった。日本ゴルフのやることが改めて見える。もっと頑張ろう、もっとしたたかにならなければならない。

 

 時限は違う。だから「もう一つのプレーオフ」と名付けたい。
 石川遼と池田勇太の賞金王争いである。18歳と23歳のたたかいはプロ人生をかけた若者の意地の張り合い。その中から日本の活路が見えるといい。遼が勝てば史上初めて10代の賞金王の誕生。池田ならば82年、中島の28歳を上回る快挙となるが、意地と意地の張り合いから日本のパワーが生まれている。

 「ここまできたら記録もかかっている、いまのいましかできないことなので何とか達成したい」と石川。夏から続く17連戦は最終戦の日本シリーズまであと2戦。若いとはいえホオがこけた石川に疲れはかくせない。旺盛な意欲と自身への使命感が支えなのだ。ゆるめ、低い方へ妥協することを拒む姿は鬼気迫ってすさまじいほどだ。


 今大会ついに60台のスコアは出なかったが、上位をひたすら目指す姿は改めて感動ものだ。4番パー5、カールソンに驚いた30数分前、石川は会心のドライバーショットのあとフェアウエーの真ん中からツーオンを狙った。高い弾道でグリーンオンかと思われたが、10数センチ足りずバンカーの壁に突き刺さった。バンカーショットはピンをねらえず、出すだけ。アプローチも寄らずボギーは痛かった。
 今週はパー5で奪ったバーディーがわずか2個。果敢な攻めは林や木の根っこにとまって裏目に出ることが多かった。だが、前進あるのみのゴルフ、姿勢に日本の未来をかけたい。そんな気持ちだ。

 

 池田の最逆転の夢はかすかな希望というしかない。右手甲を痛めかばっているうちに左腰をいため苦戦が続く。鍼灸医師二人を帯同、悲壮な戦いを強いられる賞金王争い。はっきりいって満身創痍の池田の現状では逆転はむずかしいだろう。だが、「チャンスがある間はがんばりたい。きょう上がり6ホールは3バーディーをとった。気持ちでスコアが作れることがわかって収穫」といった。
 10年先、20年先にきっとつながる。貴重な体験をしていると思いたい。

*ダンロップフェニックストーナメント終了時点
順位 選手名 賞金
1 石川 遼 \161,745,759
2 池田勇太 ¥154,754,403
3 片山晋呉 ¥107,439,243
4 藤田寛之 ¥88,660,333
5 久保谷健一 ¥79,195,798





 モリナリとカールソンは次週、上海で行われるワールドカップの代表として戦う。遼、勇太の賞金王レースも南国・高知で続く。ゴルフとはプレーオフ人生とみつけたり。長く果てしない戦いである。


11月21日(土曜日) イタリア人プロ、モリナリはアーニー・エルスになるのか
「世界はどこまでも広く、あくまで深い」


 日本では無名のエドアルド・モリナリがその存在感を圧倒的なものにしていくのにさして時間はかからなかった。
 4番、7番のパー5をバーディーとし8アンダーで迎えた8番、右ドッグレッグのパー4。右林上を抜いたティーショットのあとサンドウエッジで60センチにつけるバーディーで9アンダー。

 無風、曇天、力のいるコンデションにノーコックのドライバーショットが唸りを上げパットも冴えた。その勢いの前に上位にひしめく日本期待の選手たちは息をひそめた。モリナリはインに入り15番で右林へ入れボギー、17番パー3は13mから3パットと“すき”を見せたが、それでも単独トップに立った。

 「ヨーロッパツアーにはない最高のグリーン、フェアウエーのすばらしさ。松の林とのコントラストはミスをしても自分が悪いと納得がいくコース、とても好きだ」最高級のほめ言葉は、それだけ高い自分への評価なのだろう。

 そのしたたかさに底知れない世界の分厚さ、深さを見る。
 同組の日本オープンチャンピオンの小田龍一は惜しいパットを外し「バーディーパットをことごとく外したが、モリナリを意識せず自分のゴルフに徹しようとしながら彼を意識していた。それほど彼のゴルフがよかった」という。優勝争いの真っただ中でライバルに重圧。ゴルファーなら誰でもそうなりたい。

93年大会で初出場初優勝を飾ったE・エルス
93年大会で初出場初優勝を飾ったE・エルス

 28歳、プロ5年目。欧州ツアーでは有名なモリナリ兄弟の兄として知られる。ワールドカップでは弟のフランチェスコとイタリアの代表を過去2年、今年12月の大会では3回目のコンビを組む。
 アマ時代の2005年の全米アマ選手権(メリオンGC東)で優勝、イタリア人初の全米アマ優勝者でもある。ジュニア時代までさかのぼると97年にトヨタワールドジュニア選手権。02年にはアジア戦抜対欧州選抜対抗戦「ボナラックトロフィー」に出場、今回が3度目の来日だ。
 世界を股にかけたエリートゴルファーである。

 「プロとなって初めての日本だが、池田勇太、宮里優作とはアマで戦った。勇太は石川と賞金王争い。ぜひがんばってほしい」とエールを送った。05年の全米アマ優勝でプロ宣言、全英オープンがプロデビュー戦。タイガー・ウッズが大学2年で全米アマを3連勝、「もうアマに思い残すことはない」とプロ入りした1996年の“道筋”をしっかりと踏襲していた。

 しかし、プロ入り後は苦労した。今季は欧州下部のチャレンジツアーで3勝をあげ賞金王、来季のシード権を手にしたばかりだ。「アマからプロになってコースがタフになった。ショートゲームはうまかったが、ショットに問題をもっていた。自分の課題の解決に手間取った。でも今季は3勝をあげることができた。最終日は4勝目だ、ね」とにっこり、その姿に1993年のアーニー・エルスがオーバーラップしてくる。

 あの年、大会はプロ転向5年目のエルスをチャンピオンに選んだ。
 南アツアーを転戦していたエルスは当時24歳、無名の若者だった。誰がエルスが勝つと予測しただろうか。だが、大会ではカプルス、シンに4打の大差をつけ、ミケルソン、リーマン、ワトソン、マイズ、スタドラーを寄せつけず母国以外で初優勝を達成した。エルスはその後、全米オープン2勝、全英オープン優勝者へと成長したのは周知の事実である。


11月20日(金曜日) 「いでよ、日本人チャンピオン」

 上位陣に日本人プレーヤーがびっしりと並んだこの日、ジャンボ尾崎が持病の坐骨神経痛で棄権した。なんの関連もないことだが、心にチクリと痛みが走るようなノスタルジーを感じる。

 今大会は過去35回で日本選手が優勝したのはわずかに4人しかいない。外国仕様のコース、高速グリーン、刈り込んだフェアウエーと深いラフ。ここはアメリカと見間違えるほどだが、過去の優勝者も外国選手が占め、まるで外国のトーナメントのようだ。

 だが、そうした中、日本が誇れるとしたら94年からの3年間、一人で勝ち続けたジャンボ尾崎だろう。3年連続は初、3勝も最多優勝記録、最後に勝った時は49歳10カ月、これは最高齢V記録である。しかし、なにやらものがなしい。その記録が偉大であるほど、そこまで尾崎一人に頼りきったことがさみしい。

 ジャンボの体質を色濃く受け継いで小田龍一に期待したい。
この日、3連続バーディーを含む4バーディー、1ボギー。2日連続の68、通算6アンダーは首位から1打差だ。
「パットが入っただけ」と謙孫(けんそん)するが、今年の日本オープンチャンピオンは石川遼、今野康晴との3人プレーオフを見事制し、初優勝を公式戦で飾った。勢いと成長度では他に人はいない。

 運命の出会いも見逃せない。今大会、小田とジャンボは同じ組で回った。この日のスタートホールの10番、こんなことがあった。 小田がティーショットを打つと「おまえフックを打ってるんか」尾崎が声をかけると「ヨシ、おれもいこう。フックで行くぞ」―そのとき小田は感じたという「ジャンボさん、やっぱり見ていてくれてるな」。

 07年のサントリーオープンで小田は同じ経験をしていた。尾崎からスイングのレッスンを受けたのは、たまたま後ろの組を回った尾崎がホールアウト後の練習場で「トップスイングでフェースを開きすぎてるぞ」とアドバイスをくれた。スイングに悩んでいたときだった。プロはプロ同士。そのひと言ですべてを理解できた。

 「以来、その教えを守りずっとやっている。実は今年はフェードからフックへの転向を図っている。また、ぼくみたいなものに目にかけてくれていたことがわかった、うれしかった」。
 それだけの話である、しかし、深い話である。最終日に結果が出ればいい話になるはずだ。

 もう一人は石川遼である。
遼と尾崎。個人授業をオフに受ける師弟である。
この日、4つのパー3はピンがすべて右端に切られた。そして石、川は11番を除き3番、6番、17番をすべてフェードで攻めた。11番は8アイアンで1m半、ショートアイアンなのでストレートに打ってバーディー。しかし、ほかはすべてフェード打ち、17番では右バンカーに入れボギーとしたが、積極的な攻めに抱きしめたいほどの迫力があった。手前から24ヤード、右エッジ5ヤードのピン、196ヤードを5アイアンで打つ姿勢がうれしいのだ。

 「今年初めのオフの合宿で、ジャンボさんに短いアイアンで左手一本でドロー、次いで左手一本でフェードと1日中、何100発と打った。そのときドローは打てるが、フェードはまだまだといわれた。僕の課題」といったのは今大会前だった。フェードのアイアンショット。尾崎の目指すパワーフェードは石川に伝授されはじめている。石川はこの日いった。「自分の技術にあった攻め方をしていくことがぼくのいまできること。先を目指して勇気をもってやることが大事なんです」4つのショートにジャンボの匂い。石川の進化をあと2日後に期待するのはよくばりだろうか。いやそんなことはあるまい。



11月19日(木曜日) ゴルフは何が起ころうと驚かないがこれは驚きだ

 波乱の幕開けとはこのことだ。カムバックを日本デビューにかける世界のビジェイ・シンと石川遼が同組を回る注目の対決はスターティグホールの10番でいきなりシンがダブルボギーをたたき、思わぬ方向に発展した。
 ティーショットをバンカーに入れたシンは2打目もバンカーに入れ寄せ切れず、6mから、あろうことか、3パットのダブルボギーとした。
 
 石川も調子をあわせた。「朝の練習場ですごく調子がよかった。それでいい結果を出したかったのかもしれない」と打ったティーショットは右ラフ、木が邪魔になりバンカーと渡り歩きボギーにすると流れは悪い方へとなだれを打った。 続く11番のパー3は3パット、「これではいけない」と歯をくいしばった12番はティーショットを左林でついに3連続ボギーとなった。

 立ち直りはシンが早かった。140ヤードからのショートアイアンがグリーンをとらえられず12番でボギーとしたが、13、14番で4メートルにつけるバーディー、18番パー5も2オンでバーディーとした。合わなかったアイアンの距離感も合い、高い弾道が冴えた。インにターンした7番パー5をバーディーとすると、トータルスコアはイーブンパーへ。ホールアウト後は「出だしでつまずいたのは残念だったがなんとか盛り返せた。ピンの位置も難しかったしパープレーは満足」と笑顔がのぞいた。

 石川は苦しんだ。13番で初バーディーとし不安定だったティーショットも治った。しかし、バーディーパットがことごとく入らず3番ではこの日4つ目のボギーで再び3オーバー、と悪夢の再現。
 だが、6番パー3で10mのバーディーパット、8番も10mと複雑なスネークラインを沈めると最終9番、180ヤードからの6アイアンのショットを30cmにつけるバーディーでナイスフィニッシュはさすがだった。

 「ひどい出だしだった。焦りを感じる前に自分をコントロールするのに精いっぱいだったが、残り16ホールを使ってなんとかできた、僕の成長だと思いたい」

 無風、曇天。コースはしっとりと湿って見えた。しかし、グリーンは速さをしっかりと出し選手も驚きだ。「ピンの位置がタフだった」とシン。
 石川は「3、4mのパットをなんとかしないといけない。グリーンが速いからこそグリーンの面の平らな所に打っていくショットの精度を上げないといけないなあ」2日目以降に課題を課した。

 グリーンが本来の、いや、過去にないほどの好仕上がりを見せはじめたようだ。選手たちに警戒感とアグレッシブな気持の交錯がある。そんなときほどトーナメントはおもしろい。
 注目選手がそろって苦戦した一日。それは本来はパー5をパー4として供した10番、442ヤードに集約した。

 賞金2位の池田勇太もこのホール左林に入れ脱出に失敗しダブルボギーをたたき、さらに11番ダブルボギー、12番ボギーのつまづき。大混戦は10番からはじまった。キーホールはこのあとどんなドラマを設定しようというのだろう。



11月18日(水曜日) 「新しい出発」

 46歳ビジェイ・シンと18歳、石川遼。36回目を迎えた09年ダンロップフェニックスは興味深い対決ムードだ。

 「新たなわたしのスタートが始まる。この2ヶ月間、スイングも体も今週、優勝するために準備してきた」

 シンは強い決意とともに9年ぶりに大会に帰ってきた。3度の賞金王、タイガー・ウッズのただ一人のライバルといわれたシンだったが、今シーズンは全くの不振に終わった米ツアー。21戦でトップ10に入ったのがわずかに3回だけとさんざんだった。 

 右膝の故障に“フィジーの鉄人”は苦しみぬいた。「足、膝と故障した。右膝は深刻でスイングを変えないと打てなかった。けがをかばいながらのスイング改造はドミノ倒しのように自分のスイングを壊すなどバタバタをくりかえした。今季は私の中ではなかったことにしたい」

 もう膝の故障は大丈夫だという。「完璧かといわれると、今も少し痛みはあるが、スイングに影響はない。トレーニングもできていたしこうしてコースに出ても100パーセントやれている。優勝することを目指せると、言えることが新鮮だ。頑張るという気持ちになってきたんだ」シンのカムバック劇がなれば世界的なニュースが日本から、宮崎から発信される。


 「19歳の息子はニューヨークで大学生活を送っているがゴルフより女の子の方が好きみたい」と苦笑い。しかし、同年代の遼のことを聞かれると「ベリーグッドプレーヤー。スイングは充実、自信も持っている、最高の素質をもっていることはまちがいない」と息子を語るように力を込めた。

 シンと遼、前回チャンピオンのマークセン(タイ)をはさんだ注目の予選ラウンドはいよいよスタートする。石川にとってはまた試練だ。「練習の鬼、練習の虫。すべてのショットに努力が見える人。積み上げていることに自信を持っている人」とシンを評価した。

 「真っ向からぶつかっていくといえないほど大きい存在。でも僕のやり方で落ち着いてやりたい」といった。

 賞金ランキング首位。驚異的なスピードでレベルアップする今季、スイング、試合へのピークの合わせ方、コースの読みと去年とはっきり自分自身の成長を実感している。そうした中でもいまフェード、ドローを打ち分けることができてきた、と胸を張ったこの日だ。

 「フェード、ドローを状況に応じ打てることが目標だが、今回はショートホールがカギ。5アイアンでフェードか、6アイアンでドローかといった距離感も含め、自信を持ってやれるようになっている。これまでストレートボール一本だったが、スピンコントロールができるようになってきた」“見ていてください”と言いたげに見えた。
カムバックを目指すベテランと限界を知らぬ若者の対決が始まった。



武藤一彦(むとう・かずひこ)
1964年報知新聞社に入社。ゴルフは記者、編集委員を経て取材歴40年。
海外はメジャーを中心に取材、2002年評論家になる。
現在、新聞や雑誌でコラム、テレビのトーナメント解説を行う。
日本プロゴルフ協会理事、日本ゴルフトーナメント振興協会・メディア委員会委員。
世界ゴルフ殿堂選考委員を務める。