『ダンロップフェニックストーナメント』(主催:住友ゴム工業、フェニックス・シーガイア・リゾート、毎日放送)は今年、新たな半世紀に向けての第一歩となる第51回大会を迎えます。
この度、次の50年に向けてより充実した舞台を整えるため、青木功プロを名誉トーナメントアドバイザーに迎えることを決定いたしました。本トーナメントに第1回大会(1974年)から出場し、数々の名勝負で大会史を彩った青木プロは現役時代に世界中で活躍し、豊富な経験と広範な人脈を持つ唯一無二の存在です。2004年には日本男子初の世界ゴルフ殿堂入りを果たし、今年の春までは日本ゴルフツアー機構会長としてもゴルフ界の発展に寄与してきました。そんな青木プロには世界基準の大会となるためのアドバイスや海外フェデレーションとのコネクションサポート、さらには大会公式催事への参加など多岐に渡って本トーナメントを支えていただく予定です。

生年月日 : 1942年(昭和17年)8月31日
血液型 : B型
身長・体重 : 180cm/80kg
出身地 : 千葉県我孫子市
ゴルフ歴 : 14歳~
プロ転向 : 1964年12月01日
優勝歴 : ツアー通算51勝(国内メジャー13勝)
国内シニア9勝(ツアー7勝)
海外ツアー7勝
海外シニア9勝
1964年にプロ入り。71年の『関東プロ』で初優勝。76年には1勝ながら初の賞金王、78年からは4年連続賞金王を獲得した。78年に英国開催の『ワールドマッチプレー』を制し、海外初勝利。80年の『全米オープン』ではジャック・ニクラウスと争って2位。81年には米PGAツアーのライセンスを取得。83年の『ハワイアンオープン』では、最終日最終ホールの18番で劇的なチップインイーグルを決め、日本人初のPGAツアー優勝を成し遂げた。89年には豪州ツアーの『コカ・コーラクラシック』を制し、日米欧豪の4ツアーで優勝という快挙も達成。92年からは米国シニアのチャンピオンズツアーに参戦し、通算9勝。2007年「日本シニアオープン」最終日にエージシュートを達成して逆転優勝するなど国内シニアツアー通算7勝。17年「中日クラウンズ」では自身の持っていたツアー最年長出場記録を74歳239日に更新した。2016年から2023年までの8年間は、日本ゴルフツアー機構会長を務め、ゴルフ界の発展、ツアーの普及活動に貢献した。また、ゴルフ界における多くの偉業を称えられ、04年に世界ゴルフ殿堂入り。09年に紫綬褒章、15年に旭日小綬章、24年に文化功労者に選出された。