1989

ラリー・ネルソンのバンカー事件
1989年大会3日目

事件が起きたのは3日目のことだった。悲願の大会初優勝に向けてネルソンは前日を首位タイで終え、最終組でプレーしていた。16番ホールでネルソンの打ったティーショットがフェアウェイ右のクロスバンカーに入ってしまうのだが、芝のえぐれた部分の下側にはまっていて、この裁定で揉めに揉めることになる。ネルソンは芝の部分の下側だからスルー・ザ・グリーンだから無罰でドロップできるのでは?と言い、競技委員はバンカーなのでそのまま打つか、アンプレアブルで1打加算してバンカー内にドロップ、どちらかでしょう…とかみ合わない。20分ほど試合を中断して激論を交わしたが決着はつかず、ホールアウト後に再検証することを条件にネルソンは2つのボールを使ってプレーを再開する。正規のプレーとなったバンカー内からはトリプルボギーの「7」、無罰で外からのプレーはパーの「4」だった。ホールアウト後、山田弥助競技委員長と約30分にわたって英語と関西弁でやり合った。最後は「ルールの解釈に違いがあった。裁定は受け入れる。米国に帰っても問題にはしない、明日63で回れば良い」と納得、トリプルボギーとなった。ちなみにネルソンは1983年の全米オープンなどメジャー3勝を挙げているトッププロで日本通のジェントルマン。翌年のダンロップフェニックスでセベ・バレステロス、J・D・ブレーク、青木功との4人によるプレーオフを制して優勝、見事リベンジを果たしている。