1991

ジョン・デーリー、プレゼント・フォー・ユー
1991年大会1日目

世界一の飛ばし屋と呼ばれたジョン・デーリーが大会に参戦したのは後にも先にもこの1991年大会の一度だけだった。大会初日のデーリーは自慢のドライバーのコントロールに苦しんでいた。大勢のギャラリーが取り囲む中、9番ホールのティーショットを打つと“どフック”したボールは林の真ん中へと飛んで行ってしまった。これで林の中に打ち込むのは前半3度目、デーリーは顔を真っ赤にしてとうとう切れてしまった。9番ホールを観戦していたギャラリーに「プレゼント・フォー・ユー」と言って、ドライバーをあげてしまったのだ。驚いたギャラリーが「ジョークかもしれないので」と関係者を通じて返却をしてきたが、まさかまさかの珍事件だった。ちなみにドライバーを使った前半は、3ボギー、1トリプルボギーの42、ドライバーを手放した後の後半は4バーディ、2ボギーの34、何とも皮肉な結果となった。そしてこの話には後日談がある。翌日デーリーにクラブを大会本部で預かっていることを話すと「あげて下さい」との返事があり、クラブは再びギャラリーに送られることになった。「注目選手のものだから早く使ってみたい、でも神棚にでも飾っておきますか」と大喜び。決勝ラウンドの応援に駆けつけたという。その後2日目、3日目とデーリーはスコアを伸ばし首位と5打差の12位で最終日を迎えたが、今度は左サイドがOBの2番ホールで2度のOBを打ち、「あれで燃え尽きてしまったよ」とこのホールのワーストスコア「9」を残して会場を後にした。この9という数字は今なお2番ホールのワーストスコアとして記録に残っている。